東大寺法華堂執金剛神立像の構造技法の研究および模刻制作
2019年度博士後期課程3年 重松優志

研究概要
奈良時代において仏像制作の主流の一つだった塑造は、捻塑技法のきめ細やかな造形表現を可能とし、東大寺法華堂執金剛神(しゅこんごうじん/しつこんごうじん)立像や東大寺法華堂旧在の伝日光・月光菩薩立像、東大寺戒壇堂四天王立像などの傑作と謳われる仏像が造られた技法です。
執金剛神像は、静かな佇まいが多い奈良時代造像の仏像のなかでも特に躍動感に富み、迫力ある造形表現として知られています。しかし、執金剛神像がどのような心木構造で成り立ち、この表現を成し得たのかは、これまでに解明されていませんでした。
そこで、私の博士研究では、執金剛神像の模刻制作を通して奈良時代塑像の構造・技法の解明を目指しました。くわえて、執金剛神像が塑造を用いられて造像された理由を探るべく、塑造技法と並び、奈良時代の造像技法の主流であった脱活乾漆技法でも模刻を試みました。

東大寺法華堂(三月堂)
■塑造とは
木材・金属芯などの芯材(心木)の上に、植物繊維を混ぜた土を盛り付けて造形する造像技法です。当時の日本は唐からの影響が強く、塑像は奈良時代の間のみ仏像制作の主流でした。
■執金剛神の制作年代
執金剛神像の制作年代を記した文献は残っていませんが、上限は東大寺の前身である金鐘寺建立時期の天平5年(733)辺りから、奈良時代最盛期の8世紀中葉までと見られています。また、史実とみなすことはできませんが、執金剛神像の来歴についての伝承が『日本国現報善悪霊異記』や『東大寺要録』などに残ります。この文献により、執金剛神像は編纂時である平安時代の前期には現在の位置に立っていたことがうかがわれます。古くは絶対秘仏であった時期もあったといわれますが、現在は年に1日、良弁僧正の命日である12月16日にのみ御開帳されます。
■脱活乾漆技法とは
脱乾漆技法は、大まかに造形した塑造の表面に、漆で麻布を数層貼り込み、布の厚みに強度がついた頃合いに中の土を取り除き、空洞になった内部には木枠を組み込むことで張り子の形を留め、表面を漆と木粉、水を練った塑形材で造形する技法です。
執金剛神立像の研究史
執金剛神像は昭和39年(1964)に、台座や框も含んだ修理が行われました。この修理の際に、透過X線撮影を使用した調査が初めて行われました。その資料をもとに、美術院の修理担当者によって心木の想定構造図が作成されました。この図は、塑像心木の図解として専門書に長く用いられました。
しかし、平成18年(2006)12月に改めて透過X線撮影を使用した調査が行われ、これまで考えられていた構造とは大きく違い、部分的に彫刻した太い木材が組まれた構造だとわかりました。この調査で、今までの説は改められましたが、執金剛神像の心木には新たな疑問が出ました。1つ目は、執金剛神像にだけ膝下に無数の釘が確認される点です。2つ目は、似た心木構造の戒壇堂四天王像とは異なり、体幹部と両脚部の接合面が鮮明には写らなかった点です。
この問題に対して、山崎隆之氏は「内部の心木がまっすぐ正面を向いているのでなく、斜め向きだったのかもしれない。そう仮定すると、この像の他に例をみない特異な造形、構造の説明がつくようだ。」との推測をたてられました[1]。それは、膝下に無数に打たれた釘と藁縄が示すように、両脚部を改変して捻りを加えることで、X線の照射方向に対して接合面が斜めであったからではないか、という見解でした。要するに、台座を貫通して地付まで達していた両脚を天板上面の水準で切り離し、心木が貫通していた四角の枘穴に改めて支柱を立て、両脚を支柱と互い違いに組み合わせて固定することで、像の動きが強調されるのではないか、との考察でした。
このような改変が、等身大におよぶ塑像の心木で可能なのか。また、行えたとして、どれ程の効果をもたらすのかも、模刻制作を通して検証が必要だと考えました。
[1] 山崎隆之「X線画像による塑像の心木構造の調査・研究–国宝東大寺戒壇堂四天王立像と法華堂執金剛神立像–」(『奈良時代の塑造神将像』)中央公論出版 2010年。
模刻制作について
まずは、当時の材料・技法を可能な限り用意して、内部構造から検証を重ねて模刻制作を進めました。その結果、執金剛神像は正面性の強い心木構造から、心木の要点(両膝下のほか、胸部と左肩の付け根)で改変を行うことで捻る動きを強め、現在の迫力ある造形に至ったことを明らかにしました[2]。
[2] 3Dデータや美術院の資料、同一作者とされる戒壇堂四天王立像との比較、先行研究などを根拠に論じました。

改変前の心木図

改変前の心木(縄・和釘で固定していない状態)

改変後の心木図(赤斜線:新たに足されたと想定される材)

改変後の心木(縄・和釘で固定していない状態)
次に、執金剛神像の心木が偏って内包されることや、心木に達する削り込みや嵩増し材を入れてまで造形に抑揚をつけている点に着目しました。そこから、執金剛神像を制作した工人が、いかにして像を自然に自立させようかと試行錯誤したかを検証しました。これほどの工作は、構造の土台となる心木が強固に造られることで、はじめて可能となります。漆や構造に制約の多い脱活乾漆技法では、執金剛神像のような造形表現には至らなかった可能性を両技法の模刻制作の経験を踏まえて論じました。強固な心木を用いた塑造技法でこそ、執金剛神像の造形を可能としたのです。
そのほか、心木と土、藁縄の関係性についても検討を行ないました[3]。塑形に使用する仕上げ土は、粘土分と砂分、植物繊維の比率を調整することで、従来の土よりも頑丈で薄い繊細な造形が行えることを実証しました。また、塑像の土台に使用するヒノキの心木には、土の層が過剰に分厚くならなければ、藁縄を巻かずとも直接盛り付けが可能でした。さらに、心木に藁縄を巻く場合は、緊密には巻かず、あえて等間隔に隙間を空けて巻く方が、結果的に結束が強固であることも実験を通してわかりました。
[3] 定説では、塑像はヒノキなどの心木の上に縄を巻き、その上から土で塑形するといわれています。

中土の調合(土壁用中塗土+藁+籾殻)

上:隙間なく藁縄を巻き付けたもの
下:隙間をあけて藁縄を巻き付けたもの

仕上げ土の調合(雲母を含んだ土+信楽粘土+楮)

上:隙間なく藁縄を巻き付けて土をつけたもの
下:隙間をあけて藁縄を巻き付け土をつけたもの

隙間なく藁縄を巻き付けたサンプルは一旦縄が緩むと土全体が塊で滑ってしまったが、隙間を開けたものははヒビは入ったものの滑ることはなかった


塑造模刻:中土による塑形(正面・背面)

塑造模刻:仕上げ土による塑形(正面・背面)



脱活乾漆造模刻:麻布の土台(正面・背面)


脱活乾漆造模刻:木屎漆による整形(正面・背面)
総括
模刻制作において、両技法はそれぞれ特有の性質が認められましたが、塑造技法は木彫や乾漆技法と比較しても、重量や強度の面において制約の多い技法であることを改めて感じました。しかし、直感的に造形のやり取りが行えるうえに、繊細な表現が可能で、塑造の可能性を存分に実感した模刻研究でもありました。そのことから、執金剛神像を生み出した工人は、塑造技法を肯定的に選択したと私は結論づけました。
塑造技法の長所と短所を深く理解した工人は、新しい表現を目指して塑造の抱える制約の限界に正面から向き合い、並外れた意欲と充実した技術・審美眼をもって果敢に挑戦したのではないかと、私は思いを馳せます。その結果、到達した表現が執金剛神像であり、その痕跡は心木構造に集約されていると考えます。ともすれば、破綻をきたすような危うさのうえで成り立ったことで、執金剛神像の独自の緊張感や、類い稀な表現に至ったことを、模刻制作を通して再認識しました。同時に、同じく物を造り生み出す者として、1200年以上も昔に執金剛神像を生み出した、工人への尊敬の念は尽きません。
私の研究が今後の執金剛神像の解明、ひいては奈良時代塑像の構造・技法解明の一端となり、後世に伝えていくための手助けになることを願い、総括とします。
完成した模刻像

脱活乾漆+古色彩色


塑造

